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第15回 記憶は操作できる!

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脳外科医から見た高次脳機能障害 特別寄稿

クリニックいわた医師(脳神経外科)
同志社大学非常勤講師(社会福祉学科)
安井 敏裕

第15回 記憶は操作できる!

2013.08.29

 高次脳機能障害の症状の中で、「記憶障害」の頻度が最も高く、約90%の方々が訴えておられます。「記憶障害」に関しては、これまでも何度か書いてきましたように(其の3, 7, 9, 12, 14)、高次脳機能障害の中で最も問題となる症状です。今回は記憶研究の最先端の知見について少し書いてみたいと思います。

 脳は大脳、小脳、脳幹の三つの部分からなっています。大きさは大脳が最も大きく80%を占めており、小脳と脳幹が10%ずつです。大脳は前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の四つに分けます。人では前頭葉が最も広く、約40%を占めています。記憶の形成に最も関わっているのが側頭葉(特に内側にある"海馬")です。   

 側頭葉にある海馬が記憶の形成に重要であることが分かったのは、1953年にアメリカの脳外科医スコービルが行った手術がきっかけでした。スコービルは側頭葉てんかんの患者さんの治療として両側の海馬を摘出しました。術後にてんかん発作は消失しましたが、猛烈な健忘が起こりました。手術をする前のある時期以降の記憶が全く抜け落ちた上に、新しい記憶もできなくなってしまいました。また、カナダの脳外科医ペンフィールドは脳の手術中に患者さんの側頭葉を電流で刺激すると、鮮明な記憶が蘇ることを発見したのは有名な話です。一方、基礎研究の分野では1949年にカナダの神経生理学者ヘッブが記憶というのは脳内の「ニューロン(神経細胞)の集団の組み合わせ」で蓄えられるという仮説を提唱していました。この説は「セルアセンブリ仮説」と言われています。セルは「細胞」、アセンブリは「集まり」という意味です。ある情報Aが脳に入ってくると、たとえば、「10個のニューロンのセット」に記憶として蓄えられるという考えです。何らかのきっかけで、この10個のニューロンのセットが活動すると記憶を「思い出す」ことになり、このニューロンのセットが活動しなくなると「忘れる」という考えです。発表当時からこの説は正しいと考えられてきましたが、証拠がありませんでした。しかし、昨年(2012)63年ぶりにこの「セルアセンブリ仮説」が正しいことが、ネズミの海馬で証明されました。すなわち、先程の例で説明しますと、「情報Aが脳に入ってきた時に活動する10個のニューロンのセット」を見つけ出す方法が発見され、このセットを壊すと情報Aの記憶が消え、このセットを刺激すると情報Aの記憶を思い出すことが証明されました。このように、ネズミにおいては海馬での記憶をある程度、操作できるようになっています。PTSD(心的外傷後ストレス障害)という障害があります。これは恐ろしいトラウマ体験から精神的な外傷を受けたことにより、恐怖や無力感、戦慄など強い感情的な反応が症状として現れ、長期にわたって持続する障害です。先程のネズミの海馬における記憶の消滅や再現実験を人に応用して、PTSDのきっかけになっている記憶を消せば治療できるのではないかという研究も始まっています。

  さて、記憶力をよくしたいとは誰しも考えることだと思います。現在、運動や魚に多く含まれるDHAやEPAという物質を摂ると記憶力の向上に役立つことが分かっています。しかし、海馬に一旦できた記憶もそのうち消えてしまいます。海馬の記憶が大脳皮質という、より上位の脳に移動して初めて忘れない記憶になります。そのためには、昔から言われている通り、「うまず、たゆまず、こつこつ」と努力するのが一番よいという現実は、残念ながら脳科学の進歩した今日においても変わりません。