高次脳機能障害ブログ AKOのブログ

奥新川のおばちゃん

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奥新川というのは仙台から山形に向かうJR仙山線の県境にある小さな無人駅です。
「今朝も熊がいたよ。」なんて会話が当たり前の山奥ですが、近くに清流があって、夏のキャンプや秋の芋煮会で賑わいます。

駅前に茶店があって、80歳前後の老夫婦が観光客相手に食堂や小商いをしています。商売っ気はまったくありません。
名物はおばちゃんが作る「山菜てんこ盛りラーメン(勝手に命名)」です。
食べていると、いつのまにか近所のおじいさんが缶ビール片手にお相伴しに来ます。30分もするとご主人も加わって車座で酒盛り、、、なんてこともあります。

8年前、「こんち」が病気になって言葉も出ず、歩くのもままならない頃、気分転換にと大学病院を抜け出しておばちゃんの茶店にきました。
うつむいて声も出せない「こんち」をじーーっと見て、おばあちゃんが言いました。

「この人はだいじょうぶだぁ! 医者はなんて言うかしらないが、ワシは何十年もこの駅前でたくさんの人を見てきたからわかるんだ。何があっても、何を言われても5年辛抱してごらん。見違えるようになって笑顔でまたここで会う日がくるよ。」

実は、病院の主治医から「軽快はあきらめてください。」と言われ、落胆していた時でした。
私は、奥新川のおばちゃんを信じることにしました。「5年は何が何でも辛抱してみよう。」と、、、「諦めるのはそれからでもいいや、、」その時決心したのです。

やがて「こんち」は、声が出るようになり、杖なしで歩けるようになり、高次脳機能障害という後遺症が残りましたが、笑顔も戻りました。

5年後、二人でおばちゃんのもとを訪れました。
「おばちゃんの言ったとおりだったよ。頑張ってきてよかった。」
「よかったねー、辛抱した甲斐があったねぇー」
おばちゃんは「山菜てんこ盛りラーメン」の上に更に山菜を乗せて、快気祝いをしてくれました。

それから毎年奥新川のおばちゃんの茶店に通っています。こないだも行ってきました。
二人とも元気で、おばちゃんがまた「山菜てんこ盛りラーメン」を作ってくれました。
「おいしいね^^」って食べていると、相変わらずいつのまにか近所のおじいさんが缶ビール片手にお相伴です。「こんち」のお酌で美味そうに飲んでましたよ。

おばちゃん、いつまでも元気で「こんち」を励ましてね。


がまの油売り口上

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7月になると、仙台ではあちこちの神社やお寺でお祭りです。

私は昨年から「がまの油売り口上」をやっていますので、付近のお祭りから依頼の声がかかります。

いつも 「こんち」を手伝わせながら、あちこちに参加しています。
一昨日も、近所の大日堂で実演しましたし、今夕も方仙台愛宕神社で実演です。

「さぁさぁ、お立会い!」でおなじみの「がまの油売り口上」は、筑波山の大道芸なのですが、
何とか「こんち」と社会参加ができないか、、 人に迷惑をかけずに達成感のある仕事はないものか、、、と探していたところ、 筑波に大道芸の学校があると聞いて、参加・習得しました。

もちろん、本体は私がやるのですが、 「こんち」に準備やかたづけ、サクラや旗持ち、をやってもらいます。
私も見知らぬ人々の面前で大声を張り上げて、大いにストレス解消になりますが、観客から拍手を貰ったときなんかは、「こんち」はそれはもう嬉しそうで、一日ごきげんになるのです。

誰でもそうですが、やっぱり、「自分も誰かの役にたっているんだ、、」って実感したときに症状もずっと和らいで、気持ちも前進するみたいです。

今晩も頑張ってお客様を喜ばせてきたいと思います。
愛宕神社の宮司さんは、何年も前から私達を応援してくれています。果たしてお祭りに来てくれているお客さん達の期待に応えられるか、、、頑張ってきまあ〜す。


「こんち」を介護して8年になりました

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こんにちわ!
仙台在住、61歳のおじさん、、、AKOです。

私の連れの「こんち」も8年前に脳出血で倒れ、以来高次脳機能障害と付き合っています。

「こんち」は多動や奇行があり、食事やトイレも最後まで集中できません。目の前の物を拾ったり取ったりで、一人での外出もままならないため、職場への復帰はできませんでした。

私が働きながら2人で暮らすという過酷とも言える介護生活が始まりました。
社会的には全く理解されず、警察官がやってきたことも何度もあります。(今ではお友達です 笑!)

介護ヘルパーさんなども症状に対応できずに辞めていき、ハローワークを経由して自費で補助者を雇ったこともありました。

また、精神的な混乱がひどく、「もう2人で遠い所へ行こうか?」などと考えたこともありました。(涙)

そんなこんなで、2年前に私も職を辞め、今は「こんち」の介護に専念しています。
それは、主治医とソーシャルワーカーさんの「社会の親切や福祉の制度を使いながら生活するのも立派な生き方」という言葉でした。

「なるほど」と思うところがあり、
・障害者年金を生活費としていただくことにした。
・介護認定をし、食事などで居宅ヘルパーの支援をもらうことにした。
・精神障害者認定を受け、自立支援施設へリハビリ通所することとした。
・仙台市の福祉サービスを使い、外出時は支援をお願いすることとした。
など、福祉サービスを使いながら介護生活をしています。
これだけでも私の負担はかなり減り、なんとか生活を楽しむことができるようになりました。

また、これまで周囲にはできるだけ病気を隠して生活してきましたが、これを機会に一切をオープンにし、できるだけ町内の行事やお祭り等にも一緒に参加しています。

次第にマンションの住人や街の人達から「一緒に暮らしていいんだ!」という雰囲気や、協力が得られるようになりました。

近所の庭に咲く花を折っても、「今度は気をつけてね。」を優しく対応してくれるようになりました。(「本当はいけないこと」とその都度話して聞かせてはいるんですが、、、、、)

神社のお祭りでは、優先的にカラオケを歌わせてもらい、賞品をゲット!
以来、町内の敬老会では歌を披露するようになりました。本人は相当な自信になって張り切っています。

新幹線や飛行機で遠くに行くのも旅(人生)だが、ゆっくり歩いて、野に咲く花や神社の歴史に目をやるのも旅(人生)だと思って、二人で病気と介護を楽しもうと思っています。

先週も車中泊で信州を旅してきました。一本のネギだけで食べる「高遠そば」を堪能したり、野沢温泉の男湯に2人でゆっくり浸かってきました。まさに珍道中でした。

10年間付き合ってきた病気です。何かのお役に立てる事もあるかもしれません。
是非情報交換させてください。
お互いに生きる希望につながっていければと思います。

よろしくお願いいたします。

もし、暇があったら「こんちの闘病日記」をのぞいてみてください。
http://www.geocities.jp/akomovie21/konchi/

AKO


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