岩田記念診療所医師 大阪市立大学脳神経外科非常勤講師 安井敏裕 |
NPO「交通事故サポートプログラム大阪」 の手伝いをさせてもらうようになってから高次脳機能障害に関する本をよく読むようになりました。そのおかげ
で脳外科の患者さんの症状をこれまで以上によく理解できるようにもなりました。これまでは患者さんがあまりに「変わった」ことや「稀な」ことを言うと、医
学の常識ではそんな異常なことはあり得ないと無視したり、統合失調症による幻覚や妄想が否定できないと考えた場合には精神科受診をすすめるようにしており
ました。しかし、現在は患者さんの「異常」と思える訴えも脳科学の立場から明快に説明できる場合があることに気付きました。
最近、「余剰幻肢」という言葉に初めて出会い驚きました。自分の腕や足の数が増えてしまったと感じる症状のことです。実は、人間の「体のイメージ」は脳
が作っています。例えば自分の身体の片側半分が無いと感じたり(半側身体失認)、切断されてすでにない腕がまだ存在していていつまでも痛いと感じてしまう
(幻肢痛)などの症状は脳が原因で起こることはよく知られております。しかし、手足の数が増えてしまうという症状があり、それが脳の異常で起こるというこ
とは知りませんでした。私が読んだ本には前頭葉の脳梗塞で3本目の腕が体から生えていると感じられるようになった女性の話が載っていました。もちろん、そ
の3本目の腕は見えません。ところが目を向けていなければ、1分ほど前に自分の左腕のあった位置に、3本目の腕があるように感じられるそうです。たとえ
ば、本当の左腕を椅子の肘掛けの上に置いていて、次いでこの左腕を机の上に移動しても、3本目の腕がまだ肘掛けの上に置いてあるように感じられるとのこと
です。実際にそちらに目を向けると、この3本目の腕の感覚は消失します。時に下肢も3本になってしまうそうです。私が「余剰幻肢」という症状を知って驚い
た訳は、脳外科医になった頃に受け持った脳挫傷の女性を思い出したからです。この女性は時々「3本目の脚が痛いです」と言っておられました。当時の私は
「3本目の足などあり得ない」と一笑に付してしまったことを、今では恥ずかしく思います。
今日、高次脳機能障害を扱った本は沢山ありますが、それらのほとんどは高次脳機能障害の原因に関する説明や介護の仕方の具体的な方法についてのもので
す。高次脳機能障害の患者さんが示す症状を理解するための脳科学的な基盤について詳しく述べられているものはほとんどありません。高次脳機能障害の患者さ
んが示している症状は、頭部外傷や脳卒中の結果「失われた機能」と「保たれた機能」とのバランスの上に出現しているものと思われます。患者さんの介護やリ
ハビリテーションを進めていくためには、これらの保たれた機能をフルに活用して、失われた機能を補っていくことが大事ではないかと思っています。
- 第18回 障害の当事者
- 第17回 認知障害
- 第16回 空間認知の障害
- 第15回 記憶は操作できる!
- 第14回 神経新生
- 第13回 高次脳機能障害の画像所見
- 第12回 高次脳機能障害の主要症状について
- 第11回 学習性無力感
- 第10回 医療機関への周知、医師への啓発
- 第9回 二種類の健忘症
- 第8回 ソーシャルブレインズ(社会脳)
- 第7回 短期記憶と近時記憶
- 第6回 3本目の脚
- 第5回 医療者の知識不足
- 第4回 抗てんかん薬
- 第3回 記憶障害とは忘却障害?
- 第2回 二つの先入観とリハビリテーション
- 第1回 高次脳機能障害をめぐる混乱
- 天使が見える人 - 「神回路(?)」の存在-(脳神経外科速報掲載)