岩田記念診療所医師 大阪市立大学脳神経外科非常勤講師 安井敏裕 |
1990年代の10年間はアメリカでは"Decade of Brain"(脳の10年)と言いわれました。脳研究に多大の予算が投入され、脳科学が大いに進歩した期間です。しかし、現在でも脳科学は物理学にたとえれば、15~16世紀のレベルであると言われています。つまり、地動説を唱えたガリレオや運動の法則を発見したニュートンが現れる直前の時代ということです。すなわち、今の脳科学はまだ、学問的な体系や根本原理もない状態と言えます。この根本原理をはじめ、脳に関する多くのなぞが21世紀に解き明かされるのが待たれています。
19世紀後半から20世紀にかけて活躍したカハールというスペイン人の解剖学者は大変有名な先生で、脳の研究者なら誰でも知っています。この先生は、当時支配的であった「脳細胞(ニューロン)はお互いに連続して網目状につながっている」という説を覆し、「ニューロンとニューロンは連続しておらず、互いの間にはシナプスという間隙がある」という主張で1906年にノーベル賞をもらっています。この先生は同時に、「大人の脳ではニューロンは分裂しない」とも主張しました。こういう偉い先生が言ったことは影響力が大きく、その後100年もの間、この説を誰も疑いませんでした。しかし、21世紀に入り、この説は覆り、今では大人の脳でもニューロンは分裂し、新しい神経細胞が毎日できていることが確認されています。特に、脳のなかでも記憶の中枢である海馬(側頭葉の内側)では積極的に「神経新生」が起きています。
私たちの日々の出来事は最初はこの海馬に蓄えられますが、①時間とともに海馬から消えてしまうか、②何度も繰り返し覚えるなど努力をすると、記憶は海馬から大脳皮質に移動してきちんと蓄えられ、いつでも思い出せる状態になるかのいずれかの経過を取ります。海馬で日々新生される神経細胞は、毎日海馬に一時的に蓄えられる多くの記憶を、②のように積極的に大脳へ移動させてきちんと保存し、海馬をいつも新鮮な状態に保っておくのに役立っています。また、多くの実験結果から、この神経新生を盛んにする方法が三つ明らかになっています。
1)サンマなどの魚油に含まれる脂肪酸(DHAやEPA)を食べる、
2)適度な運動をする、
3)一人で閉じこもらず社会や人との関係を保つ
の三つです。
これらは誰でも努力次第で出来ると思いますから、若々しい記憶力を保つために頑張りましょう。
- 第18回 障害の当事者
- 第17回 認知障害
- 第16回 空間認知の障害
- 第15回 記憶は操作できる!
- 第14回 神経新生
- 第13回 高次脳機能障害の画像所見
- 第12回 高次脳機能障害の主要症状について
- 第11回 学習性無力感
- 第10回 医療機関への周知、医師への啓発
- 第9回 二種類の健忘症
- 第8回 ソーシャルブレインズ(社会脳)
- 第7回 短期記憶と近時記憶
- 第6回 3本目の脚
- 第5回 医療者の知識不足
- 第4回 抗てんかん薬
- 第3回 記憶障害とは忘却障害?
- 第2回 二つの先入観とリハビリテーション
- 第1回 高次脳機能障害をめぐる混乱
- 天使が見える人 - 「神回路(?)」の存在-(脳神経外科速報掲載)