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生きている証(あかし)

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自分や最愛の人が病気で不自由になると、無性に「生きている証(あかし)」が欲しくなるようです。
それは、「昔はこんな大仕事をした。」とか「元気な時はこういうことも出来た。」のような自慢話ではなく、心の奥底にいて普段は出てこない、もう一人の自分が納得するようなもののような気がします。

私の同級生のS君、東京で暮らしているのですが、5年前奥様に乳がんが見つかりました。幸い早期だったので手術で事なきを得たのですが、奥様は再発を心配しました。
人生を不安に思った奥様は、S君に「生きている証が欲しい。」と言ったそうです。

夫婦で相談し、出した答えは、、、、、?
奥様と一緒に東京から京都まで旧東海道を歩くことにしたそうです。
もちろんS君には大事な仕事がありましたから、土日を利用して歩くわけです。
電車で現地に行き一日歩いて近場で一泊して、次の日も歩いて近隣の駅から帰宅する。

計画を聞いた時には、びっくりすると同時に病み上がりの奥様の体を心配して、「決して無理をしないように。」と進言したものです。

それからことあるごとに、旅先から絵葉書をもらいました。そして3年後、元気なお二人が映った京都三条大橋の葉書をいただき、無事到着したことを知りました。

過日、S君と酒を酌み交わす機会を得たので、無事の到着を喜び、旅の苦労話を聞くことができました。
もちろん、旅先での美味いものや温泉などの話で盛り上がりましたが、「旅の一番の思い出は?」との問いに、S君は急に真顔で答えます。

「週末とは言え、朝から晩まで二日間連れと色んな話をした。こんなに話をしたことは以前にはなかった。一番の収穫は、会話を通して私の連れがこんなにも美しい人だということがわかったことだ。生きている証はともかく、たしかに俺はこの連れと二人で生きている、俺は世界で一番の果報者と思えたことだ、それは連れも同じだろう。」

今、S君夫婦は「今度はドイツを旅してみよう。」とドイツ語を猛特訓中だとか、、、。

私は生きている証として、「こんち」と一緒に何ができるだろうか、、、、
それは私にとっても生きている確かな手応えでなければいけない、、、、
大きな、大きな宿題を出されたようなS君とのひと時でした。



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